今夜のつまみは、かぼちゃ煮だ。 ほっこりと、煮つけたかぼちゃを口に運びながら、今夜も短い動画で心を整える。 今夜の晩酌BGMに選んだのは、ジャズの名曲「Sing Sing Sing」だ。
今回紹介する2本の動画は、わたしが晩酌の合間によく見ている動画なんだ。 同じ曲なのに、まったく違う感情をつくりだす。
一本は、ドラムの音が体に活を入れ、叩き起こしてくる。 もう一本は、明るい演奏の中に、なぜかほっこりとした余韻が残る。
この曲を聴くと、まず耳に残るのは、あのドラムだ。 ドン、ドッドドン、ドン。
ドン、ドッドドン、ドン。 前へ前へと出てくる。 なんだろうな。今から新たなストーリーが始まる、期待せよ!といった感じに聞こえてならないんだ。
ただの伴奏ではない。管楽器も、曲全体の勢いもすごい。 それなのに、このドラムの音が、頑張れ、まだやれる、まだまだやれるで!と、聞こえるのはわたしだけだろうか。 この曲は、ただものではない。
この二つの動画は、曲は同じでも感情の方向が違うんだ。
一本は、勇気づけたるからはよーいけ!と背中を押す。よっしゃいくでーーと元気が出る。 どこへ行けばいいのだろうか?と思う間に、次の動画だ。失敗しても何も問題はないんだよーと元気をくれる。
ええ動画だわ。行動力と、失敗なんか気にするな!と思えてしまう。 あなたにも見ていただきたい。繰り返し見ることで、何かが得られるかもしれない。
ベニー・グッドマンではない?生みの親はルイ・プリマ
この曲のルーツをたどると、始まりはルイ・プリマという人にたどり着く。 「Sing Sing Sing」は、もともと1936年にルイ・プリマが作ったスイング曲だ。 正式には「Sing, Sing, Sing (With a Swing)」という曲名になる。 正直、わたしは知らなかった。
この音楽は、ベニー・グッドマンの曲だと思い込んでいたのだ。どうやら違っていた。生みの親はルイ・プリマという男だった。 この「生みの親」と「育ての親」が異なる流れを知ったとき、かぼちゃ煮を運ぶ箸が少し止まった。
では、なぜベニー・グッドマン楽団の印象がここまで強いのか。 それは、グッドマン楽団がこの曲をビッグバンドの迫力で、でかく育てたからだ。 もともとのスイング曲が、会場ごと巻き込むような名曲へ変わっていく。 そこに、この曲のおもしろさがあった。
常識をぶち破って前へ出るジーン・クルーパのドラム
さらにそこへ、ジーン・クルーパのドラムが入る。 このドラムがええげつない。 普通なら、ドラムは後ろでリズムを支える。
だが、この曲のドラムは違う。 前へ出る。 曲を引っ張る。 聴いている人間の体を強引に揺らしてくる。 これが、たまらんのだ。
特に有名なのが、1938年のカーネギー・ホール公演。 この公演などを通じて、「Sing Sing Sing」はスイング・ジャズを代表する一曲として語り継がれるようになった。
ルイ・プリマが曲を生み、ベニー・グッドマン楽団が大きく育て、ジーン・クルーパがドラムの迫力を記憶に焼きつけた。 この流れを知ってから聴くと、音の重みが変わる。 ただのBGMではない。 1930年代の熱気が、そのままこちらへ向かってくるような感覚だ。
ええ曲というのは、何十年たっても音が生きている。 「Sing Sing Sing」は、まさにそれだ。
日本のベテラン職人|阿野次男さんのただものではないドラム
そして、その色あせない熱を、今も凄まじい迫力で叩きつけてくれるドラマーがいる。 わたしが今夜、かぼちゃ煮をつまみながら何度も繰り返し観ている1本目が、阿野次男さんのバージョンだ。
観てほしい。このドラムもまた、ただものではない。
ばちが踊る。 静かに響く、時に激しくドラムが響き渡る。そのパフォーマンスに魅了されてしまう。
ジーンジーン・クルーパの熱を思わせるような、前へ前へと攻めてくるビート。 ビッグバンドの重厚な音を、ドラムがぐいぐい引っ張っていく。 聴いているこちらの体まで、勝手に揺れてくる。
体の奥にまで、元気を叩き込まれるような響きだ。 これが、何度も聴きたくなる理由だ。
もうひとつの余韻|京都橘高校吹奏楽部のカニちゃん
同じ「Sing Sing Sing」なのに、まったく違う角度から心を揺らしてくる2本目の動画がある。 それが、京都橘高校吹奏楽部の演奏だ。
この動画を見ていると、「カニちゃん」と呼ばれて親しまれている女の子が出てくる。 本名ではなく、ファンの間で使われている呼び名のようだ。 由来については、過去のイベントで赤いカニの被り物をしていたことから来ているらしい。
彼女はこのパレードで、ドラムを叩いているわけではない。 ファンの間では、ユーフォニアム担当として知られているようだ。 ユーフォニアムは、低音を支える金管楽器。 座って構えると、体の前にずしりと重さがくる楽器だ。
その彼女が、この動画では楽器も旗も持っていない。 何も持たずに、手のひらをいっぱいに広げて踊っている。 このポジションは「カラーガード」という、ダンスで曲を表現する役割だ。
低音を支える側から、今度はバンドの一番前へ。 重い楽器を抱える姿ではなく、体ひとつでステップを踏む姿になる。 この変わり方がおもしろい。
カニちゃんの一生懸命に踊る姿は心を惹かれるものがある。
京都橘の魅力は、演奏のうまさだけではない。 ピタッとそろった動き。 前へ進む足. 明るい表情。 全員でひとつの空気を作っていくスタイルは感動を呼び込む。
その中で、彼女は特別に目立とうとしているわけではない。 それでも、なぜか視線が止まる。 一生懸命にやっている人の動きには、不思議な力があるんだなぁ。
失敗の夜に救いをくれる、困ったような表情
そして、この動画には、少しだけ印象に残る場面がある。
一瞬、彼女が間違えてしまった。
次の瞬間、表情がほんの少し崩れる。 「あ、やらかしたぜ」 そんな声が聞こえた気がした。これが、最高の好印象を残した。
完璧な動きだけではない。 ほんの少しのズレ。 その後に見える、困ったような表情。 そこに人間らしさがある。
わたしたちは、昔の失敗を急に思い出すことがある。 なんでもない時に、ふっと出てくる。 忘れていたはずの場面が、心の奥から顔を出す。
でも、あの表情を見ると少し救われる。
一生懸命やっていても、ずれる時はある。 前へ出すぎる時もある。 それでも、その一瞬が誰かを笑顔にすることもある。それでいいんだと思う。
カニちゃんの魅力は、ただ明るいからではない。 きれいに踊るからだけでもない。 一生懸命な中に、ふと見える素の表情。 そこに、見ている人の心が引っかかるのだと思うのだ。
京都橘高校吹奏楽部の動画は、音だけでなく、目でも心でも楽しめる。 同じ「Sing Sing Sing」なのに、阿野次男さんのドラムとはまったく違う余韻が残る。
こちらは、音だけではない。 動き、表情、若さ、一生懸命さ。 その全部が混ざって、心の奥に小さな明かりを残してくれる。
心臓に響く一打
ルーツを知る。 そして、ベテラン職人が静かに激しく叩き込む音と、前線でひたむきに踊る高校生たちの姿を見る。 そうすると、また聴き方が変わる。
ドラムだけを追いかけるのもいいし、 管楽器の勢いに乗るのもいい。 時代の空気を味わうこともできる。
この曲のドラムは、曲の心臓そのものなんだ。 その心臓の音に合わせて、前を歩く人たちが、失敗すらも輝きに変えながら進んでいる。 そう思って聴くと、あの一打が、また違って聞こえてくる。
これが、わたしが何度も観たくなる理由だ。
今夜もかぼちゃ煮をひと口。 酒をひと口。 素晴らしい音楽に、ありがとう。ありがとう。

