〖晩酌からの独り言〗長岡花火はなぜ泣けるのか|往復1600kmを行く理由

こんばんは まくおです。

今夜のつまみは何もない。熱めのお茶で仕事を進める。

これには理由があり、しばらく外食が続いたのと、忙しさも重なったせいか、体のダルさが気になり、しばらくファスティングをすることにした。

理由は、長岡の花火に万全の体調で行くためだ。なんせ往復1600km。寄り道なしでこの距離だ。さらに毎回、ぼろぼろの軽四で行っている。故障を想定して、オール下道というのだからスリル満点だ。日程は6日間。わたしは運がいいからなんとかなる。

ファスティングというのは、簡単に言えば食べる量を減らして、胃腸を休ませる時間をつくることだ。不調と感じた時にこれをやると、わたしの場合は体の重さが少し抜ける。

減食をすれば体の不調が少し楽になる、その代わりに腹が減る。

わたしの場合、空腹の時間を、できるだけ長く維持するというのは、体調を回復する方法の一つだと確信している。

どんなことが起ころうが、体調さえ整えることができれば、新潟へ行ける。今年も頑張るで!

目次

豪華晩酌の最高のステージ 長岡花火

今回のテーマは、長岡花火の話です。

大音響で開く大花火!これをみながら酒をのむ。わたしの豪華晩酌。最高のステージはここ以外にはない。

わたしが、長岡の花火を最初にみたのが2011年だった。

当時は情報不足で、フェニックス花火など知らなかった。

その少し前に、長野県の諏訪湖の花火(約40000発)をみたばかりだった。その圧倒的な迫力に感動したものの何か物足りなさが残っていた。

その数日後に「長岡の花火」をみるために新潟県へ進む。会場付近といえば、屋台で賑わっているはずだが、ここ長岡には屋台の群れが見当たらない。ぽつんぽつんとあるだけだ。これは予想していなかった。祭りと言えば連なる屋台でB級グルメを食い漁る。これも楽しみの一つだった。

少し残念に思いながらも、クーラーボックス二個へ氷と酒とつまみ、約五時間分を用意しているので楽しみは半減していない。

いよいよ日が暮れかけたころに、打ち上がる白菊三発。ん~単発ながらもいい、期待感が膨らむ。

次々と打ち上がる仕掛けの連続、花火の合間に次の酒をセットする。次のうち上がりまでの待ち時間は数分程度。打ち上げのピッチは早い。花火が上がりだすと、目が離せないほど、圧倒的な音と大輪の花火が夜空を埋め尽くし、その激しい振動が、わたしの魂のくすみを揺さぶり叩き起こす。

よくもまぁ、これだけの大花火を連続で打ち上げれるものだ。花火師の思いと精密な詰め方とプログラム。職人の意地と技術がここにある。見事です。

単発の花火は少なく、スターマインと、その親玉のベスビアス (これでもかと夜空を埋め尽くす特大仕掛け花火) と名づけられた、ダイナミックな花火がバンバンとプログラムに組み込まれている。

@makuo369

#2024フェニクス

♬ オリジナル楽曲 – まくまく – まくまく

その時が、ついにやってきた。感動の大花火。これほどまで涙が溢れでる花火に出会ったことはなかった。

歌詞に負けていない大スケールの仕掛け花火「フェニックス」 震災からの復興を祈る不死鳥(フェニックス)が、夜空に大きく何度も羽ばたく姿は、沈みかけた心に、まだやれる!と元気をくれる。

つまみの、ゆで卵や唐揚げに塩はいらない。ぼたぼた落ちる涙が塩の代わりをしてくれた。

この花火が上がるとき、無駄な会話は一つも聞こえない。あるのは歓声と泣き声のみである。

まくお

とにかく全ての花火に、またこれか、はない。

わたしは、今年で通い始めて12回目となる。毎回、思わず言葉が出てしまう「でけーーのーー」わかってはいても、つい声になる。

わたしはこれまで、全ての都道府県ではないが、沖縄と北海道以外の大きな花火大会には行っている。

だが、これほど見ごたえのある、大型のスターマインが数多く打ち上がる花火大会はそうそうない、断トツで長岡の花火だと確信している。

これは、わたしが思うことだが、長岡花火の良いところは、洋楽を一切使っていないとこだ。日本の花火には日本の曲と歌詞が、やっぱり心に響く。

あのフェニックスで流れる平原綾香さんの曲のように、言葉の ひとつひとつが花火と一緒に心に染み込んでくる。

もう一つは、新作花火の競技大会がないことだ。これが意味するのは、単発の花火が上がらないことで、大型仕掛け花火が炸裂する。これが、わたしにとって最大の魅力でもある。

私が好きな型は「錦冠(にしきかむろ)」であり、多くの仕掛け花火で惜しげもなくラストを飾る。これがいいんだ。ド~ンと、ゆっくりゆっくりと大きく開く、跡を残しながら金の火が夜空からだらりと垂れてくる。
この名残がいい。

派手に咲いただけでは終わらない。

粘れ、粘れと語りかけてくるように思える。

多くの仕掛けで、最期を何度も飾り〆る錦冠、見事なラストは、ぐずぐず悩むくらいなら、腹を決めて前に進め、と言われているような気がする。そりゃそうだな。

長岡の花火は、ただ有名なだけではない。そこには確かな理由がある。ただし、その理由はきっと人によって違う。

悲しみや苦しみを夜空に打ち上げ、手放すための花火。そして、空いた心の余白に、新しい何かをそっと置いていく花火でもある。

いま、仕事や人生に迷い、うつむいている人の気持ちは、他人には測れない。それでも、立ち止まったままでは何も動かない。

だからこそ、「錦冠」のように、ゆっくりでもいい、しぶとく残る光を持てばいい。まだ終わりじゃないと、自分に言い聞かせるための粘りは、きっと心の栄養になる。

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