今夜も湯豆腐で晩酌開始。
まず豆腐を一口いれたあとに、ふっと顔を出す。うまいという小さな喜び。
この小さな楽しみや喜びを積み重ねると、何が起こるのか
幸運という流れがやってくる。
地味だね~。だが、この積み重ねが運を上げていく。
最高の晩酌を味わうには何をすればいいか?答えはすぐに出る、腹を空かせておけば、晩酌はうまくなる。当然の話だ。
しかし、多くの人は、どうすれば腹を減らすことができるのか、ここを考えず、何を食おうかと考える。
腹を減らすことのメリットは、多くある。が、知ろうとしない。
食うことだけを考えて腹を満たし続ける。その結果はあまり良くない。
しかし、これは人にすすめる健康法ではない。あくまで、わたしの晩酌の楽しみ方だ。
それだけではない、空腹の効果は健康維持に欠かせない。時に空腹の時間を長くする。これが最高の栄養だと船瀬俊介さんの著書にもある。
確かに腹は減るかもしれない。しかし、体は軽くなる。頭もスッキリする。ただ腹が減るだけだ。
その欲を超えた後の一口は最高のごちそうにたどり着く。
なぜ茹でただけの豆腐がこれほどうまいのか、ここに答えがある。
だから、わたしは朝も食べなければ昼も食べない日がある。腹減るでー、と思うかもしれないが、思い方一つで最高の空腹に変わるんだ。
おっと!豆腐にすが入る前に一口がぶり!あちぃ~
イメージと臨場感が流れをつくる

わたしは若いころから花火が好きだった。幼少に見た地元の花火に心を弾ませた。年を重ねるごとに花火への思いは強くなっていた。
その当時、ユーチューブもなければ、花火に関する映像など見つけるのは至難の業だった。今のように、スマホで検索すればすぐに見られる時代ではなかった。
だが、あった!
それが、『金鳥の夏!日本の夏!』金鳥のCMだった。
この花火の映像が頭と心に焼き付いた!こんな花火を見たい。
ずっと、イメージしていたんよなぁ。その花火を見ている自分を。何度も。何度も。

毎年、夏になると家族で鳥取砂丘へ海水浴と梨狩りへ行っていた。宿泊先の多くは民宿だった。
海辺に立つ一軒の民家を増築した宿。なぜか落ち着いた、いいなぁこんなところに住んでみたいなと思った。
たらいの中でスイカが水道水で冷やされている。
今では見ない光景だ。
民宿の料理。カニの甲羅揚げの味には子供ながらに感動した。あの味は今でも、かすかだが憶えている。
あの味が忘れられない。その思いはどこか心に残したままいた。
そこの女将の話が耳に入る。長野の「わさび」は最高にうまい!この一言が妙に心に残った。

花火。
鳥取の民宿。
カニの甲羅揚げ。
そして、長野のわさび。
この時、そこに何かのつながりがあるなど、思うはずもなかった。
ただ、強く心に残しただけだった。
そこから30年。点と線がつながった。
長野と岐阜で10年間過ごすことになる。待ち望んだ大花火!これにであえた。この10年で得られたものは、とても大きなものばかり。
この理由が、この旅で全てではないが理解に近づいた。
いや、まだ道中でしかないのだろう。晩酌の合間に何が起きたのか。これを書いていきます。
仕込みの法則
ここで、少しだけ「仕込みの法則」について書いておきたい。
今のわたしは、引き寄せの法則を「仕込みの法則」として見ている。
引き寄せにおける仕込みとは、すぐに願いを叶えたり、成功を手にしたりするものではない。
言葉も、記憶も、感情も、心に残したまま時間をかけて熟成する。
花火を見たいと思ったこと。
民宿の空気に惹かれたこと。
カニの甲羅揚げの味を忘れられなかったこと。
女将の「長野のわさびはうまい」という一言が残ったこと。
その時は、何の意味もなかった。
ただ心に残っただけだった。
だが、心に残ったものは消えない。
この先のどこかで、人生の向きを少し変える。
引き寄せの法則では、イメージが大事だと言われる。
大きな花火を見たい。
あの金鳥のCMのような花火を、この目で見たい。
そう思いながら、わたしは何度もその場面を頭の中で描いていた。
花火の音。
響く音の大きさ。
空高く見上げるわたし。
臨場感だけで言えば、かなり強かったと思う。
それでも、すぐには叶わなかった。
数年どころではない。
では、なぜなのか。
でも、それは夢で終わらなかった。
この話には続きがある。ここから今後どうつながっていくのか。
今のわたしにも、まだはっきりとは見えていない。
ただ一つ言えるのは、これは過去の思い出話ではない。
未来に向けた、仕込みの話だ。

引き寄せの法則は願えば叶う。イメージが必要だ。思い描くこと。これらは正解だと思う。これを信じて繰り返した人も多くいるだろう。しかし、現実は厳しく叶わないように思えるかもしれない。
この世には、目には見えない流れのようなものがある。
わたしは、それを法則としてみている。

仕込みの法則は、引き寄せの法則と大きくは変わらない。
ただ、決定的に違うところがある。
願いが叶うのを、ただ待つのではない。
叶う流れを、先に仕込んでいく。
楽しいから笑う。それは自然なことだ。
でも、笑える出来事を待つだけでは、流れは変わりにくい。
無理に大笑いしなくていい。
目の力をゆるめる。
微笑みを心がける。
それを続けると、顔つきが変わる。
顔つきが変われば、人の集まり方が変わる。
その集まりは出会いや出来事の流れを少しずつ変えていく。
怒りも同じだ。
腹を立てる理由は様々だ。
仏でもないかぎり、腹の立つ日もあるだろう。
もし、怒りを毎日仕込めば、心は怒りの材料を探し始める。
やがて言葉が荒れてくる。
顔つきも変わる。
人との流れも濁っていく。
良い仕込みも、悪い仕込みも、あとで芽を出す。
だから、仕込みの法則とはこういうことだ。
願いが叶うのを待つのではない。
言葉、笑顔、感謝、行動を先に仕込む。
その仕込みが、あとで出会い方や選ぶ行動を変えていく。
そこから、運の流れも少しずつ変わっていく。
蒔かぬ種は生えぬ。
蒔いたる種はみな生える。
この言葉は、とてもシンプルでわかりやすい。
人生も同じだと思う。
言葉も、感謝も、笑顔も、行動も。
先に蒔いたものが、あとで流れとなって返ってくる。
人生は、起きたことで決まるのではない。
その前に、何を仕込んでいたかで決まる。
わたしは、ここに仕込みの法則の芯があると思っている。

