【晩酌からの独り言】4章 引き寄せの法則と仕込みの法則

今夜も湯豆腐で晩酌開始。

引き寄せの法則だの、運だの、幸せだの。
そういう話は、まず豆腐を一口やってからでいい。

明日のつまみを何にするか。
その小さな楽しみを考えることも、幸せの仕込みになる。

運は、願うだけで来るものではない。豆腐を一口いれたあとに、ふっと顔を出すものだと思う。

この晩酌が、幸せと心の豊かさを育てるには欠かせない。

明日のつまみは違うものにしよう。と思った今宵のはじまり。

何か面白いことはないか。楽しいことがないなぁ。若いころに良く思っていたことだ。

思うだけで何もしないのだから、楽しいことなんか起きるわけがない。運の流れも変わらない。

面白いことや楽しいことはイメージして、何かしらの行動に移せば、いつか運は顔を出してくる。

わたしの晩酌も同じこと。最高の晩酌を味わうには何をすればいいか?答えはすぐに出る、腹を空かせておけば、晩酌はうまくなる。当然の話だ。

しかし、これは人にすすめる健康法ではない。あくまで、わたしの晩酌の楽しみ方だ。

それだけではない。時に空腹の時間を長くする。これが最高の栄養だと船瀬俊介さんの著書にもある。

確かに腹は減るかもしれない。しかし、体は軽くなる。頭も軽くなる。ただ腹が減る。食欲の問題だ。

その欲を超えた後の一口は最高のごちそうにたどり着く。

なぜ茹でただけの豆腐がこれほどうまいのか、ここに答えがある。

だから、わたしは朝も食べなければ昼も食べない日がある。腹減るでー、と思うかもしれないが、思い方一つで最高の空腹に変わるんだ。

おっと!豆腐にすが入る前に一口がぶり!あちぃ~

目次

イメージと臨場感が流れをつくる

わたしは若いころから花火が好きだった。幼少に見た地元の花火に心を弾ませた。年を重ねるごとに花火への思いは強くなっていた。

その当時、ユーチューブもなければ、花火に関する映像など見つけるのは至難の業だった。今のように、スマホで検索すればすぐに見られる時代ではなかった。

だが、あった!

それが、『金鳥の夏!日本の夏!』金鳥のCMだった。

この映像が頭と心に焼き付いた!こんな花火を見たい。

自然にイメージしていたんよなぁ。その花火を見ている自分を。何度も。何度も。

毎年、夏になると家族で鳥取砂丘へ海水浴と梨狩りへ行っていた。宿泊先の多くは民宿だった。

海辺に立つ一軒の民家を増築した宿。なぜか落ち着く、いいなぁこんなところに住んでみたいなと思った。

たらいの中でスイカが水道水で冷やされている。

今では見ない光景だ。

民宿の料理。カニの甲羅揚げの味には子供ながら感動した。あの味を超えるものには、出会えなかった。

あの味が忘れられない。その思いはどこか心に残したままいた。

そこの女将の話が耳に入る。長野の「わさび」は最高にうまい!この一言が妙に心に残った。

花火。
鳥取の民宿。
カニの甲羅揚げ。
そして、長野のわさび。

この時、そこに何かのつながりがあるなど、思うはずもなかった。

ただ、強く心に残っただけだった。

そこから40年。点と線がつながった。

いや、まだ道中でしかない。先が楽しみだ。

ここで、少しだけ「仕込みの法則」について書いておきたい。

今のわたしは、引き寄せの法則を「仕込みの法則」として見ている。

引き寄せにおける仕込みとは、すぐに願いを叶えたり、成功を手にしたりするものではない。

言葉も、記憶も、感情も、心に残したまま時間をかけて熟成する。

花火を見たいと思ったこと。
民宿の空気に惹かれたこと。
カニの甲羅揚げの味を忘れられなかったこと。
女将の「長野のわさびはうまい」という一言が残ったこと。

その時は、何の意味もなかった。

ただ心に残っただけだった。

だが、心に残ったものは消えない。
未来のどこかで、選択の向きを少し変える。

引き寄せの法則では、イメージが大事だと言われる。

大きな花火を見たい。
あの金鳥のCMのような花火を、この目で見たい。

そう思いながら、わたしは何度もその場面を頭の中で描いていた。
花火の音。
響く音の大きさ。
空高く見上げるわたし。

臨場感だけで言えば、かなり強かったと思う。

それでも、すぐには叶わなかった。
数年どころではない。

では、なぜなのか。

でも、それは夢で終わらなかった。

この話には続きがある。ここから今後どうつながっていくのか。
今のわたしにも、まだはっきりとは見えていない。

ただ一つ言えるのは、これは過去の思い出話ではない。
未来に向けた、仕込みの話だ。

仕込みの法則

引き寄せの法則は願えば叶う。イメージが必要だ。思い描くこと。これらは正解だと思う。これを信じて繰り返した人も多くいるだろう。しかし、現実は厳しく叶わないように思えるかもしれない。

この世には、目には見えない流れのようなものがある。
わたしは、それを法則としてみている。

仕込みの法則は、引き寄せの法則と大きくは変わらない。

ただ、決定的に違うところがある。

願いが叶うのを、ただ待つのではない。
叶う流れを、先に仕込んでいく。

楽しいから笑う。それは自然なことだ。

でも、笑える出来事を待つだけでは、流れは変わりにくい。

無理に大笑いしなくていい。
目の力をゆるめる。
微笑みを心がける。

それを続けると、顔つきが変わる。
顔つきが変われば、人の集まり方が変わる。
その集まりは出会いや出来事の流れを少しずつ変えていく。

怒りも同じだ。

腹を立てる理由は様々だ。
仏でもないかぎり、腹の立つ日もあるだろう。

もし、怒りを毎日仕込めば、心は怒りの材料を探し始める。
やがて言葉が荒れてくる。
顔つきも変わる。
人との流れも濁っていく。

良い仕込みも、悪い仕込みも、あとで芽を出す。

だから、仕込みの法則とはこういうことだ。

願いが叶うのを待つのではない。
言葉、笑顔、感謝、行動を先に仕込む。

その仕込みが、あとで出会い方や選ぶ行動を変えていく。
そこから、運の流れも少しずつ変わっていく。

蒔かぬ種は生えぬ。
蒔いたる種はみな生える。

この言葉は、とてもシンプルでわかりやすい。

人生も同じだと思う。
言葉も、感謝も、笑顔も、行動も。
先に蒔いたものが、あとで流れとなって返ってくる。

人生は、起きたことで決まるのではない。
その前に、何を仕込んでいたかで決まる。

わたしは、ここに仕込みの法則の芯があると思っている。

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